天神祭

日本三大祭の一つに数えられる「天神祭」は千余年の歴史を誇り、大阪の夏の風物詩となっています。
花火などの華麗な姿より「火と水の祭典」とも呼ばれています。
毎年24日が宵宮、25日が本宮となっており、100万人以上の人出で賑わいます。

祭りは24日朝、神職や神童が堂島川に漕ぎ出し、船の上から神鉾を流す「鉾流神事」で開幕します。
25日の本宮は、天満宮を出発した神輿行列が天神橋の乗船場まで練り歩く「陸渡御」が行われ、
そこから100隻余りの船が航行する水上パレード「船渡御」がスタートします。
神様を乗せた船、かねや太鼓で祭りを盛り上げるどんどこ船、企業や団体などが出す奉拝船などが水上を行き交います。
夜には、約3千発の奉納花火が打ち上げられ、夜空を彩ります。

始まりは、天暦5年(951年)の6月1日とされています。
この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものでした。
これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられています。

日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からです。
大阪天満宮は、大阪夏の陣の兵火から逃れるため、一時的に吹田市へ避難していました。
天神に戻ってきたのは、寛永21年(1644年)のことです。
堂島川(旧淀川)への土砂流入により一時中断となったこともありますが、
大阪が「天下の台所」と呼ばれた元禄時代(1688~1704年)以降、天神祭は浪速の繁栄のシンボルとして隆盛を極めます。

やがて、日本は戦争の時代へと突入するわけですが、
天神祭は日露戦争や二度の世界大戦によって、昭和13年(1938年)~23年(1948年)まで中止されています。
戦後間もない昭和24年(1949年)に船渡御が復活しますが、
地盤沈下によって水位が上がったために船が橋の下をくぐる事が出来なくなったため、
翌昭和25年(1950年)には中止となりました。
大川を下航していた船渡御が、遡航するという現在の形になったのは昭和28年(1953年)からのことです。

天神祭には、約一千年という長い歴史があります。
その間、幾多の困難を乗り越えつつ発展し続けてきたことは言うまでもありません。
そして、今もなお、浪速っ子の熱いエネルギーに支えられて、大阪の夏の風物詩として、脈々と受け継がれているお祭りです。

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